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MGをはじめて9年④

MGをはじめて9年④

自粛生活になって家での時間が増えると、朝は本当に弱いんだな、と感じる今日この頃です。

予定があれば寝坊することはまずないのですが、特に急な用事がない場合は寝起き悪いです。

今日の朝も布団とお友達になって、つかず離れずの関係を繰り返します。

でも、これってきっと体質なんでしょうね。

学生の頃からそんな感じで、深夜の方が頭が冴えていたのを覚えてます。

テスト前日なんて21時くらいからエンジンがかかり始めて、結局寝不足でテストを受けるという非常に非効率な感じ。

夜にテストがあればいいのに、と今では思いますが、これからはオンラインなどで自由にテストを受けられる時代も来るかもしれませんね。

そんなわたしなので、実はMGをやる時も朝頭が回ってなくてテンションは低かったりします。

あ、テンション自体は朝に限らず低く見られるかもしれません。

基本的には「おとなしく」「粛々と」MGをやっているつもりで、いつもとても楽しませてもらっています。

それでふと思い出しましたが、今年2月の東京MGでは珍しくやかましい雰囲気でプレイした時がありました。

それは資質の【親密性】が関わってきていますが、このお話はまたの機会で書こうかなと思います。

さて、前回はインストラクター認定コースみたいな立ち位置のシニアコースを受講したところまででしたね。

「みたいな」という表現は嘘でもなんでもなくて、実はこのコースに参加をしたからと言って、必ず認定されるわけではありません。

かといって明確なテストがあるわけでもないんです。

どうやってインストラクターに認定をされるかというと、MGの開発者である西順一郎さんに認められれば、という感じでしょうか。

昔ながらののれん分けみたいなイメージが近いかもしれません。

あくまで西さんから認定をしてもらっている立場なので、その責務は果たさなくてはいけないと思っています。

今でこそその責務がなんなのか、なんとなくイメージが湧きますが、当時のわたしは「インストラクターになること」が目的でした。

認定を与えてくれる真意をわかっていなかったような気がします。

今では勝手に「師」とさせて頂いていますが、当時の感覚では西さんは「先生」でした。

あくまで理論・手法を教わる人であり、逆に言うとそこまでと考えていたのだと思います。

MGというツールに一番の関心があり、MGに宿る思想を感じることができなかったということです。

MGが生まれるまでには物語があり、西さんを始めとして多くの人の想いが込められて今の形になっているのでしょう。

認定を受けるということは、その想いを引き継いで後世に伝えるという役割を任せてもらえたと、今では勝手に解釈しています。

そんな想いは受け取ることができずに、当時は自分が興味のある数字にばかり重点を置いていたと感じています。

そんな感じで初めてのMGインストに臨んだのは、中田敦彦のYouTube大学でも紹介されたコンサルタント会社の内定者研修。

明確な資料は残っていませんが、8卓48名くらいを相手に行ったような記憶があります。

初めてのインストでこの人数は、正直無謀の極みですね。

今から思うと、知らないってすごいパワーを発揮するなって思います。

何か世間の中では「知らない」ことそのものが「」みたいな感じになっているような気がしますが、「知らない」ことには罪はないと思っています。

世界全体での知識量からすると、人は知らないことがほとんどです。

「知らない」のが当たり前なんですよね。

知らないことに気付けば、知る機会になります。

知る機会を逃すのが、わたし的にはもったいないなって思っています。

だから、「知らない」こと自体には罪はないんですよね。

話がそれましたが、そんな初インストなので準備も大変だし、当日のインストも大変です。

そこを無邪気に助けてくれた先輩インストラクターの方がいて、普段は遠く離れていますが今でも懇意にさせて頂いています。

その人が今年2月の東京MGでご一緒できたので、わたしの【親密性】が発動したような感じです。

MGの思想の「教え合い」が、MGの場を離れて現実の世界でも行われていると感じる瞬間でした。

そんなありがたい経験をさせて頂きながら、だんだんとMGの本質に気付いていったのを今では振り返れるようになりました。

でも、いまだにスピリチュアルなお話は?マークが多く浮かぶのですけれどもね。

さてさて、長くなってきたので続きはまた今度に。

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