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シニアコースも回数

シニアコースも回数

今日から2日間は東京MGジュニアコースに参加しています。

先日、シニアコースに参加したばかりですが、今年は機会がある時は東京MGに参加すると意思決定しました。

それがなぜかと聞かれても、なんとなくとしか答えられないのが歯がゆいところです。

理由はいくらでもつけられるのですが、「これ!」っていう芯はない感じですね。

まさに根拠のいらない【自己確信】と【学習欲】が発動しているのを感じます。

そして34番目の【コミュニケーション】もいい仕事をしています(笑)。

どう伝えればいいのか、なかなか出てこないんですよね。。。

というわけで、シニアコースってどんな感じなのかを少しだけ書いていこうかと思います。

表面上はインストラクターコースの側面もあるので、MGを使って研修や教育をしたいという目的で来る人も多いです。

わたしも最初の目的はそうでしたが、今ではMGの思想に触れるのが第一の目的だと思っています。

わたしの中ではこんな感じかもしれません。

インストラクションは屋台骨であり、インストラクターとしては必須スキルです。

これが欠けていたら話にもならないレベルだと思っています。

その上位にMGの道を共に歩んでいる参加者同士の交流があり、最上位は師の思想がある。

とはいうものの、まだ全然つかめていないのが実情です。

わたし自身、先日のシニアコースにしっくり来ていないのが原因なんだろうなと思っています。

1回目と2回目のシニアコース参加時は必死でした。

「MGを初めて9年」のブログでも書いているように、会社のお金でMGを学ぶために参加していたというのが根底にありました。

シニアコースに参加する明確な目的があり、ゴールがあった。

学んだことを愚直に実践し、失敗しながら試していた時期です。

それがある程度定着し、自分の色が出始めているのを最近感じています。

ひょっとしたら、守破離の守の段階を過ぎたのかもしれません。

守破離という言葉は戦国時代の茶人、千利休の言葉と言われています。

利休道歌と呼ばれる、千利休の教えをわかりやすく、覚えやすいように和歌の形にしたものです。

昔の人は和歌にすると頭に入りやすいんでしょう。

現代の「水平リーベ僕の船」みたいなものかもしれませんね。

その利休道歌の中に「規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」の一節が、守破離の元になっています。

一般的にはまずは師の教えをしっかりと守り()、熟練してきたら自己流に変化していき()、最終的には新しい流派となる()ような意味に捉えられます。

ここで忘れてはいけないのは、「本を忘るな」という一文。

教えを守り、変化させ、いつかは師から離れるとしても、その本質まで変化させてはいけないという訓示です。

おそらくですが、しっくり来ていないのは本質の理解がまだまだなんだろうなというのが1つ。

もう1つはMGへの向き合いかたにあると、このシニアコース中に感じたことです。

これは完全なわたし自身の問題です。

シニアコース中にポケコンの時間があるのですが、小さなミスを何回も繰り返してしまっていました。

要因はわかり切ったことで、師の話を聞いていない、この1点に尽きます。

どこかしら、すでに「わかっている」という慢心があったのは間違いありません。

このままでは道を外すので、密かに来年もシニアコースに参加しようかと画策中です。

わたしは物事を理解することに関しては、とても不器用で時間がかかります。

なので、何事も人より多くの数をこなさないと人並みにもできません。

回数をこなすということは、物事の本質に近づく、1つの手段でもあります。

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