あっという間にお盆も終わりですね。
小学校も今日からスタートして、短い夏休みが終わりました。
余りにも夏休みが短すぎて、gotoを使ってこっそり親子旅に出ようと思ってましたけど無理でした。
何か北海道の夏休みみたいな感じですね。
そんな今日は、昨日のブログで書いた「どうすればいいと思う?」という質問について書いてみようかと思います。
会社に勤めていると、ひょっとしたら1度は耳にしたことがあるかもしれない、上司からのこの質問。
個人的な感想を言うと、この手のやり方はわたしには向かないと心の底から思っています。
たいていの場合はわからないことをわからない段階で聞いているので、この質問をされると問い詰められているように感じることが多いのです。
(そんなこと聞いてくるの? 答え次第ではわかってるよね?)
言葉には出さなくても、そんな雰囲気を感じ取ってしまう人もいるのではないでしょうか。
そう受け取ってしまった場合、言い知れないプレッシャーを感じますよね。
上司が期待する答えを言えないと、ほぼ100%の確率で大ナタが降ってくるようなクイズのようなものです。
実際には言葉による大ナタが振るわれるわけですが、管理職や経営者は相手の考えを引き出そうとついつい質問をする場合があります。
もちろん、その確認方法が悪いわけではなく、効果的に働くこともあるでしょう。
しかし、聞き方や提案の仕方を間違えると、信頼が一瞬にして崩れ落ちる危険もあることを知った上で使うと効果的です。
主体性や自主性を育てるための手段として適してはいますが、きちんと育つにはそれなりの環境が必要です。
花も適切な土壌に適量の水分があり、日光に当たらなければ育ちません。
環境が整っていなければ、どんなに愛情を注いでも育つのは難しいんです。
なので、ただ単に「どうすればいいと思う?」と聞けばいいわけではないですよね。
この手法はマネジメントの手法としてよく取り上げられていますが、乱用するのは危険だと思っています。
教育をする上で重視する点としては、教えることよりも育つことです。
相手がどんな環境に置けばしっかりと育ってくれるのか、見極めることがとても大切なこと。
もし主体性や自主性を育てたいのならば、相手がなぜ主体的になれていないのかを見極めることが必要です。
1つの例として、自己肯定感の低い部下に対しては、質問による教育は逆効果になりかねません。
今までの人生の中で、親や周囲の人間からの仕打ちによって、自分で決めることを認めてくれなかった体験が自己肯定感が低い要因の1つです。
そういった場合、「どうすればいいと思う?」という質問自体に恐怖感を抱くことさえあります。
これは年齢や社会人経験は関係ありません。
人の本能として、今まで生きてきた中で植え付けられてきた感情です。
なので、「どうすればいいと思う?」という質問は、相手によって受け止め方が全く異なるということを知っておかないといけません。
花を育てる太陽にもなりますし、花を刈り取る鎌にもなり得ます。
自己肯定感が低い場合は、まずは小さな成功体験を積み重ねてもらうことが、主体性を持って行動を行う第一歩になるでしょう。
マネジメントの手法は時代とともに次々と生み出されていきます。
教えるためではなく、育てるための道具として使うことがとても大切です。