早くも今日から9月に入りました。
梅雨明けが遅かったのもありますが、今年はそれほど「夏!」っていう感覚もなく過ぎ去ってしまうような気がします。
自粛ムードで花火などの夏イベントが軒並み中止になっているのもあるのでしょうね。
日本の四季はとても素敵で、季節ごとの行事が発達して文化を形成しています。
伝統ある各地のお祭りなどは、来年こそは例年通りに執り行われることを願っています。
そんな昨日は子供の評価から伸ばすべき才能を見てきました。
実は評価の内容によっては、ただ単に得意を伸ばせばいいかというと、そういう単純な話ではないと思っています。
例えば、昨日は以下の評価でした。
・仕様に沿った修正ができる 10点
・自由作成 5点
これが逆の評価だった場合、どんな印象でしょうか。
・仕様に沿った修正ができる 5点
・自由作成 10点
「仕様に沿った修正ができる」が5点という点数は、ひょっとしたら読解力が欠けているのかもしれない、とわたしは考えるでしょう。
読解力は仕様書のような文章を読み解く力もそうですが、人の話を聞いた時にどれだけ真意を理解できるかにも関わってきます。
その力が弱いと何が起こるかというと、コミュニケーションに行き違いが生じる可能性が高まります。
コミュニケーションとは自分の伝えたいことを伝えることと、相手の伝えたいことを読み取ること。
特に相手の伝えたいことを読み取る力は、すべての仕事や勉強の基本スキル中の基本スキルであり、必要不可欠の必須スキルです。
学生では読解力は国語というイメージですが、そもそも文章を理解できなければ数学の問題も解けません。
科学の論理的な証明も、歴史資料からの考察も読み解けないですよね。
優れた書籍から学ぶことも難しいですし、講演を聞いてもポイントが掴めないかもしれません。
読解力が欠けていると感じた時は、さすがに強みを伸ばす方針であろうとも、致命的な弱みを一定レベルまで引き上げようと手を打ちます。
人の強みを活かしたいところではありますが、その強みが出せる成果以上に、弱みが足を引っ張る可能性が高いからです。
方針として得意分野に着目することを推奨しますが、苦手分野を無条件で放置していいわけではありません。
苦手分野に多くの時間を使うのは得策ではありませんが、成果に大きな影響が出る場合は対策を打つ必要があります。
人が長い人生を生きていく上で、国語の能力はとても大切な要素になってきます。
わたしは理系だから、プログラマーだから、1人親方だから。
そういった業務上の立場に関係なく、コミュニケーションの質を高めることはとても重要な付加価値になってきます。
読解力は意図的に鍛えられます。
まずは丁寧に読む、丁寧に聞く、そんな積み重ねが大切です。