まずやる、はとても大切ですが、その後の考えるもまた同じくらい重要だったりします。
エヴァンゲリオンが28年の月日を経て完結しましたね。
最初にテレビ版のアニメ第1話が公開されたのが1995年。
その頃のわたしは大学生でしたが、周りでは面白いアニメが始まったと話題になっていました。
大学まで片道2時間かけて通学していましたが、講義が終わった後に友達とつるんで夕飯を食べたりしていると帰るのが億劫になるんですよね。
キャンパス前の学生通りで晩御飯を食べると20時、それから家に帰るとなると早くても22時帰宅、翌朝は6時半には出発しなければ朝イチの第一講に間に合いません。
そう考えると帰りたくなくなり、よく友達の家に泊まらせてもらっていました。
夜な夜なゲームをしていたり、エヴァみたいなアニメをよく見ていたのを覚えています。

エヴァは当時でも革新的なアニメでしたし、各回が面白くて次の週が楽しみな感じでした。
放送翌日はエヴァ好きが話題にしてたりするので、今思うと大学も小学校もやることは変わらないですね。
それだけ面白いモノを提供してしましたし、面白いモノは大人も子供も同じだということです。
そんな評価が一変したのが最後の2話である25話と26話。
わたしもリアルタイムで見ていましたが、「えっ、どういうこと? 何が言いたいの??」と急に冷めたような感覚になったのを今でも覚えています。
この辺りの考察はネットで山ほど書かれていると思いますので省きますが、まぁまぁ謎の終わり方をしたアニメでした。
言いたいことは何となく分かるけれども、もうちょっとなんとかできなかったのかと。

そんな一世を風靡したアニメを世に送り出したのが庵野秀明監督。
鬼才と言われている監督ですが、エヴァの完結編映画作成の4年間を密着取材したドキュメンタリーが、先日NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で放送されていました。
その中でも意味深な発言を繰り返す庵野監督ですが、その中の1つが際立っているように感じます。
『謎に包まれているものを、人は面白いと感じなくなってきている』
なんとも言えない奥深さを感じる言葉で、今の日本の風土を物語っているんだろうなって思います。
よく「なぜ?」から人は向上・成長をしていくと言われます。
今の世に出ている便利な発明品の数々も、最初は1つの「なぜ?」から始まったのでしょう。
その「なぜ?」を追求することも楽しむこともなく、すぐにでも回答や解決方法を得ることを好んでいる感じかも。
今はちょっとググれば正解かどうかは別として、大抵の答えがある時代。
何事にも答えがあり、正解っぽいものを与えられてくれることに慣れてしまうと、自分で考えるという行為をしなくなってしまうのかもしれません。
これも世の流れではあるのですが、「なぜ?」そうなってしまったのか、深掘りしていくと色んな答えにたどり着くのが面白いところです。
関係ないですけれども、映画の中の挿入歌で林原めぐみさんの歌が上手くなってたのが嬉しいですね。
マニアックな話ですけれども(笑)。