ブラックな企業はもちろん存在しますが、そもそも日本の生産性はとても低いので時間で補う方法は効果のあるやり方であり、嫌なら生産性を上げる必要があります。
「お父さんの会社ってブラック企業?」
そんな問いを突然投げかけられて、ふと気づいたことがあったりします。
あー、そんなことを考えて生きてこなかったのは、とても幸せなことだったのかもしれないなぁってこと。
わたしは幸せと表現していますが、見る人からみたら「何も考えてないだらしない人」に見えるでしょうし、そう言われることもあります。
特に身内に(笑)。
基本的に考えてもしょうがないことは考えないぐーたらなので、しょうがないかもしれませんね。
とはいうものの、世の中には考えてもしょうがないことに溢れているような気がしていて、特に未来のことはいくら考えても予測はできません。
実は今のコロナ禍に対する場当たり的な対策などは、まさにその通りだと思っています。
考えてもしょうがないことを考え抜いて、到底起こり得ない未来をあえて想定して行動を強いているような雰囲気にも感じます。
そんなことは置いておいて、ブラック企業ってなんだろうなぁと改めて考えてみたわけなんです。
わたしも職をいくつか転々としていますし、20代は飲食業、30代はSE、40代はコンサルタントと、業界も全く違う仕事をしています。
もちろん、その中には世間からみたらブラック企業と呼ばれてもおかしくない会社はありましたし、一番最初に就職した雇われ店長をしていた会社はまさに真っ黒極まれりという待遇でした。
週休1日、昇給は3年間ゼロで毎月同じ額が振り込まれ、1日のシフトは最低8時間で時には7時~23時もあるという、今から考えるとまぁまぁ意味不明な職場。
その時でさえ、待遇がどうのこうの働き方がどうのこうので辞めたわけではなかった気がします。
今から振り返れば【最上志向】×【学習欲】が影響を与えている部分が多く、最大の要因は会社や自分の未来像に対する先行きの見えなさが要因だったと思います。
この辺りの見切りはとても慎重ですが、一度見切ってしまったら行動は早くてブレないのを自覚しています。
まさに【慎重さ】×【目標志向】の権化で、動き出しは遅いですが、動き出したら止まらない的な感じですね。
そんな考え方なので、企業がブラックかどうかは考慮には入りますが、それほど重要ではなかったりします。
こう書いていたら、そういえば知り合いからは「ブラック耐性が付いていそう」と言われていたことを思い出したかも。
そんなわけで、働いている人が企業をブラックかどうかを決めるのは、その人本人の主観によるところがとても大きいと思っています。
同じ労働条件でもブラックに感じる人もいれば、最高の会社だと喜んで仕事をする人もいる。
セクハラに代表されるハラスメント行為と同じですよね。
自分が好意を持っている人に言われたら嬉しいけれども、同じ言葉をいけ好かない人に言われたら不快に感じてセクハラと訴える。
ということは、ブラック企業と感じてしまう要因の多くは、会社が好きではない、仕事が好きではないことが前提に入っているのでしょう。
でも、人間はそれをあまり公言したくなくて、好きではない理由を批判されずらい給与や労働時間という待遇面に置き換えて表現をしていることがとても多い。
なんでそうなるかなぁと思うと、最近は自分のやりたいことが見つからないって人がすごく増えていると感じますし、若ければ若いほど見受けられます。
自分のやりたいことができる会社に就職すれば毎日が楽しいですが、生きるために仕方なく就職をした会社は楽しいと感じる機会が少ない。
ブラック企業の定義って、多くはそんな観点なんだと思います。
あ、もちろん極端に劣悪な労働条件を強いている会社は別ですからね。
そんな感じなので、娘からの問いの答えはこんな感じでした。
「ブラックかどうかは自分の感じ方次第なんだよね。楽しいと思う仕事をしていれば、ブラックとは感じないよ」
さて、どこまで通じるかな、ですね。
そんなことを考えながらも、ひょっとしたら娘からはブラック企業に見えているのかもと思うと、いつも遊んであげられていないんだなぁと感じるところです。
もしくは、何か別なところでブラック企業の定義付けがされているかどうかですね。
ちなみにTOCを導入して目指していきたいことの1つは、「月曜日が楽しみな会社にしよう」だったりします。