「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」情けとは回数であり、今の時代でも愛のある情けがとても大切になるでしょう。
数年後の未来を見通してみても、たいていはその通りにならないのが面白いところです。
わたしの仕事の半分くらいは数年後の未来を数字に置き換えるお手伝いなので、そんな身の蓋もないことから書き出してどうするんだろうと、自分でもドキドキしながら書いてみます。
結論から言うと、予測は当たらないですけれども、予測をしておくことはとても大事です。
そして、予測した上で今の在り方を見直して、行動を変え続けていくために予測が必要になるという感じです。
この予測は人によって異なる形になって表れてくるでしょうが、今よりも未来を想像するわけなので、たいていの場合は良い方向に向かいたいと思う人が多数のはず。
言わば理想像に向かって、日々を過ごすような感じではないでしょうか。
そんな状態が「未来が視えている」と表現するのかと思いますが、わたしの見え方は少しだけ違うのかもしれないと感じ始めています。
わたしの場合は上位資質である【慎重さ】がどうしても出てくるので、わたしが見る未来は理想像があるのと同時に、最悪な事態も想定しています。
すべての関わる人が理想の状態になるわけではないことを知ってはいるので、可能な限り理想の状態に近づけられるためには何が必要か。
もし期待通りの状態に仕上がらなかったとしても、どのようにして会社に貢献できるようにするのかも踏まえて、未来を見るような感じです。
これは成長できる人もいれば、少し足踏みをする人もいることを受け入れる必要があって、なかなかもどかしいと感じる人もいるかもしれません。
根底には原理原則である「過去と他人は変えられない」ことを、一瞬たりとも忘れてはいけないと思っています。
でも、理想の未来を実現するためには人の成長は欠かせません。
その二律背反ともいえる事象が悩ましいと感じるのは、組織と向き合う際には永遠の課題なのでしょうがないですよね。
強制的に人を成長させることは残念ながらできませんが、人が成長していける環境を整えることはできるはず。
わたし的な未来の見かたは、そんな環境を構築できるかできないかで判断をしていることが多いなぁって、最近は振り返っていたりします。
小手先のコンサルテクニックとか、集客のソリューションとかにはあまり力点を置いてなくて、本腰を入れているのは社員達がどうやって顧客の要望と向き合って、最短で成果を出すことに注目してもらえるか。
そして、それがちょっと楽しくなってきたと思えるようなチームであったり、仲間づくりが自然とできるか。
それを実現するための数字による評価であり、ボトルネックを共通言語とした相互の助け合いであり、思考プロセスによる思い込みの打破であるという感じ。
なので、冒頭で定義した予測した未来というのは、組織が理想的な状態に近づいてくれば、自ずと予測した未来像に近づくようなイメージですね。
未来の会社像からではなく、未来の組織像から見る。
なんだかんだ言いながら、やっぱり人をサポートするのが好きなんだなって振り返った瞬間でした。