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それは本当に自分の意見?

それは本当に自分の意見?

真実を見ずに周囲で起こっていることを鵜呑みにすることは、自分の人生を他人に委ねていることと同じです。

何気なく生きているこの世界は、実は意思決定の連続だったりします。

日常生活の中でも決める事はとてもたくさんあって、アメリカの大学の研究では一般的な人でも1日に平均2万回以上の決断を行っているそうです。

何を食べるのかを決めたり、どんな服を着ようかという決断もあれば、ふとした会話の中で何を話そうかというのも意思決定ですよね。

会話なんて秒単位で意思決定が必要になってきて、脳が目まぐるしく動いている瞬間でもあったりします。

そんなことを考えているのは、「意思決定といえばMGでしょ」と思いきや、ストレングスファインダーの影響もかなりあります。

双方の意思決定は質が異なっていて、MGは意思決定そのものですが、ストレングスファインダーは意思決定に至る経緯とか流れです

双方で異なる学びがあるのが面白く、毎回いろんな発見があるので飽きないんですよね。

そんな意思決定というふわっとした題材なのですが、ふわっとしているがために取り扱えることが多すぎるので、1点に絞っていこうかと思っています。

それは意思決定をしているつもりだと思うのですけれども、ではそれって本当に自分の意見?と感じることがまぁまぁあるということ。

特に日本は無言(ではない場合もあるけど)の同調圧力みたいなプレッシャーの元に生きている人が多いので、ついつい流されてしまっている人もいるのかな、と思っています。

というか、流されているとも感じていない人も結構な人数でいると見ていて、日常の当たり前として日々生活をしているように見えます

身近な話ですが、沖縄旅行を前にこんなやり取りがあったことを今でも印象深く残っています。

「9月の旅行は生きてますか? 会社の沖縄事務所は厳戒態勢に入り、業務を東京に移管になりそうな状態になっていますが」

正直な感想として、「だから何?」と思わず返信しそうになりましたが、しっかりと踏みとどまりました。

さっきの意見、本当に自分で考えて結論に至った意見でしょうか。

【分析思考】のわたしにとっては、日本に数百万社ある企業の1社の中の1部署の対策であり、まだ決定も実行もされていない仮説段階の話を引き合いにだされても、何が言いたいのかがさっぱりわからないという受け止め方になるのが面白いところです。

これが意思決定に至る経緯や流れが自分の上位資質である程度決まってしまうということであり、意外にもその流れに流されてしまうことが見受けられたりします。

自分の心地いい流れに身を任せてしまうんですよね。

他の人がこう言っているから。
世間的にこうすると変に思われないから。
普通、こうだから。

こんな観点に流されて、自分で決めている気になっている

実は自分で決めているようで決めていないんです。

それはとてももったいないことであり、自分の可能性を自分で潰しているようなものです。

自分で考えて決める事はとても大変ですが、自分の人生を生きる上ではとても大切な意思決定だったりします。

自分で決めるためには良質な情報が不可欠。

その第一歩は、自分が接する情報元を変えることだったりするのが、また面白いところです。

何が言いたいか。

人って、もっと開放されたほうが幸せだと思っています。

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