ふとしたきっかけで気付くことは大きな学びになりますが、それには自分の解釈を乗り越えることがとても大切であり、最高難易度の変革となるでしょう。
最近、ジーラボMGにリピートで来てくれる人が増えてきて、ちょこっと嬉しいって感じる今日この頃です。
少し前まではあまりリピート自体には興味はなくて、学ぶ姿勢のある方が残るんだろうなって、ただ単に漠然と考えていたような感じです。
でも実際にはそういうことではなくて、人の感性だったり直感だったりが大きく影響するんだなぁというのを目の当たりにしています。
MGを続けてくれる理由は人それぞれ異なっていて、わたしの考えていた学ぶ姿勢とは若干異なっているように感じるのが面白いところ。
MGを続けるモチベーションに「学び」というのはほぼ入らない、というのを薄々感じます。
結果的に「学び」にはなるのですが、行動を伴う動機としては違うって感じでしょうか。
日本語って難しいですね。

そんな中の1人の動機は、「MGは禅だから」って言うんですね。
申し訳ないことなのですが、先週開催したMGの最中に禅の話を聞いた時は、わたしの頭の中には「???」が並んでいたような感じです。
今まで禅を良いとは思ったこともなく、とは言っても悪くも思っておらず、正直な感想としては「無関心」でした。
禅と聞くと真っ先に座禅が頭に浮かんできて、一体何のために座禅をしなければならないんだろうと、最初に考えてしまうのはそんなことなんです。
雑念を払って無心になるのはどこでもできるでしょうし、修行という名の過酷な環境も仕事をしていると似たような境遇を体感する機会はあります。
強いて禅を自ら志願してやる必要があるかなぁと3.5期で考えていたら、ある受講生からこんなことを言われました。
「及川さんは自然とできちゃってるから、いらないと思っているんじゃないですか?」
そんな問いをもらってふと思ったんですよね。
「禅」ができてるって、そもそもどういうことなんだろうって。

そう思ったら最後、わたしの【分析思考】があれこれと動き出すんですよね。
禅についてWebで検索してみると、とあるお寺の解釈はこんな感じでした。
「ひとつの相にこだわらない無相。一処にとどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念の心境を禅定と呼び、ほとけの心のことです」
ごめんなさい、さっぱりわかりません(笑)。
というわけで、我らがWikipediaにはこう書いてあります。
「仏教用語として「心が動揺することのなくなった状態」を意味する サンスクリット語の音写である禅定の略語」
この瞬間になるほどねー、と納得したのは言うまでもありません。
禅というものを深く理解をしないままに、自分の解釈で判断してしまっている辺り、まだまだほとけの心には程遠いことがわかりました。
でもMGをやるようになってから、心が動揺することは明らかに少なくなったとは感じています。
MGは禅。
そんなように思えるようになったのも、一歩だけ禅に近づいたのかもしれません。
そして、こんな素敵なことに気付かせてくれるMGは、やっぱり楽しい芋洗いの学び場であり、これからも続けていきたいなって思わせてもらえた1日です。
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