そろそろMGのことも書いていこうかなと思う今日この頃。
わたしの中でのMGの理解はとてもふわっとしたもので、明確にこれ!って言えないのでちょっと避けてきていました。
でも、いつまでもそういうわけにはいかないので、ふわっとした形でも残していきたいなと思います。
どれだけふわっとしているかというと、MGは生涯学習していきたいものという位置づけです。
わたし自身の感覚として、あらゆることへの欲求は少ない方だと思っていますが、その中の数少ないwantがMGです。自分の意志で「やりたい」と感じた数少ない事です。
MGを初めて知った9年前のわたしは、とあるシステム開発の会社に勤めていました。
とても不思議な感覚ですが、その頃の仲間とは今でもお付き合いがあります。
お付き合いがあるのが不思議と書くと、それこそが不思議だと思われるかもしれません。
わたしは元来の性格で人付き合いがそれほど得意ではなくて、過去の職場の同僚と連絡を取ることはありませんでした。
20代の頃はずっと飲食業で働いていて、勤めた飲食店は5-6店舗ほどありますが、退職後はぱったりとお付き合いがなくなってました。
30代の頃に飲食業からIT業界へと転職をしたのもあり、接点が全くなくなったのもありますけれどもね。
それでも、わたしの性格上の要因が大きいかなと思っています。
お付き合いが続いている仲間との縁も、実はMGが繋いでいると言ってもいいかもしれません。
最近はわたしもMGを主催するようになり、嬉しいことに個人で参加してくれたりしています。
あまり感情が大きく動くことはないわたしですが、この時ばかりはやっぱり嬉しいものです。
そんな素敵なこともMGで教えてくれていますが、MGを知った時は35歳くらいの頃で、当時はすでに企業の経営計画作成のサポートをしている時期でした。
ある程度のPLもBSも読めて、5年間の資金繰りなどもサポートしていた頃だと思います。
その時にMGのインストラクターもやって欲しいという依頼がありました。
MGは聞いたことがありましたが、まったくの未経験。
よくわからずに聞いてみると、西研究所の主催するMG研修に出て、インストラクターコースを受講することになるそうでした。
その頃は意思決定権はもちろんありませんので、社長と相談したような記憶があります。
結果的にインストラクターコースまでの受講料は依頼元が出すことで落ち着いて、いざ初めての東京MGへ行くことになったのが2011年の11月です。
その時の百回帳がこれ。
今見てみると、まぁシニアまでの期間も回数も少ないと感じますね。
でも、当時はインストラクターになることが目的だったので、必死だった記憶があります。
はてさて、長くなってきたので続きは次回に。