昨日から四国のほうへ来ています。
あまり四国方面には来ることが少なかったですが、ご縁って不思議なものです。
四国にいる間も、夜にはストレングスファインダーセッションのサポートもあったりと、場所や時間を選ばずに活動ができる環境です。
逆にいうと、休まる暇もないって事かもしれませんが、そんな日があってもいい感じですね。
そんな今日は気付きのタイミングについて書いていこうかなと思います。
わたし自身の資質には【学習欲】が上位にあって、学ぶことは大好きだったりします。
【学習欲】は面白い資質で、学ぶためなら自身が苦手とするような新しい環境も厭わないですし、お金も惜しみなく投じたりします。
その学び方は他の上位資質によっても異なるので、学ぶ姿勢などは色んなパターンがあるのが特徴ですね。
たとえ資質の上位に【学習欲】がなくても、多くの人は日々の生活や仕事の中で学びを繰り返していると思います。
東京の港区などは学びの循環事業として、まなマルシェというのを立ち上げているみたいですが。
世の中、学びと言っても色んな種類があるみたいです。
まぁ、まなマルシェのことは置いておいて。
毎日多くの学びに関わる体験をしていますが、なかなか成長として実感することって難しくないですか?
わたし自身も常にそんな感じで、やってもやってもあまり満足感や達成感がなかったりします。
それは【最上志向】がそう思わせているという一面もありますが、何かしらほかの要因も絡んできていることが多いです。
実はいくら学んだとしても、その場面で本人にとっての課題が解決されたと感じない限り、なかなか達成感を得られません。
もちろん「学びをやり切った!」という達成感はあるかもしれません。
でも残念ながら後々まで記憶に残るような、大きな変革を伴う満足感に繋がることは少ないです。
一過性の喜びに留まってしまい、その学びがどのように活かされるかは二の次でしょう。
しかし、それでも学びを止めてはいけません。
なぜ学びがなかなか活かされないかというと、困っていないからです。
もしくは、自分自身が課題と思っていることがないかもしれません。
人の脳のメモリーはそれほど大きくなく、すぐに使わないと感じたものってすぐに忘れてしまうんですよね。
PCで例えると、単に学んだことってHDDやSSDには入りますけれども、メモリー領域には入らないんです。
。。。我ながら、すごくわかりにくい例えですね(笑)。
学びとして記憶はされますが、普段使うことはないですし、意識して記憶から引っ張り出してこない限りは使わないという感じです。
自分自身が抱えている課題があり、その課題が学び得た知識で解決できると判断した場合、その学びはすぐにでも活かされますし、学びを得た瞬間の感動は大きなものとなります。
面白いことに、その学びは過去に聞いたことがある学びかもしれないということです。
聞いたことはあったけれども、当時は課題としていなかったのですっかり忘れているんですね。
でも、課題だと感じるようになった瞬間、その課題に対する情報にアンテナが立ち、情報感度が高まります。
そのアンテナがいつ立つかは、まったく予測がつきません。
なので、学びを止めてはいけないのです。
課題と感じていないことについて、どんなに良いことを聞いても、人はすぐに忘れます。
同じことを何度も聞いたとしても、聞くタイミングや立場によって学べることが異なります。
学びとは永遠のお付き合いなんです。