肩の力を抜いて、お気楽に考えてみることも大切なひとときです。
東京を遠く離れて過ごしていると、住むところはどこでもいいなぁって思い至ります。
普通に仕事は捗りますし、子供も小学校高学年なので手もあまりかからなくなっている感じですし。
子供にも自分の想い通りにさせないと気が済まないという、「するべき!」論者なら話は別ですけれどもね。
10歳を超えれば自分で在る程度の判断をして自分で行動を起こせる歳。
ましてや女の子なのでよく周りを見て判断しますから、面白いくらいに嘘も言うようになるところが興味深いところです。
もちろん社会的な経験は浅いので色々とリスクカードを引くとは思いますが、そんなこと起こって当たり前で、経験してなんぼ。
もし何か起こったら試されごととして、後片付けは親の役割として全うするのみって感じ。
幸い、表面上は穏やかに過ごさせてもらっています。
そんなこんなで色んな経験をして欲しいとは思いつつ、最近は何もしてあげてないなぁって思っています。
「どこか行こう!」と誘っても即答で「嫌」と返ってくるので、まぁ今はその時ではないのかなぁと思いつつ、今しかないのになぁとも感じていて二律背反なのかもしれません。
実際に世の中は二律背反な事象ばかりで、どちらの考え方も正しいということが溢れていますし、実はどちらも間違っているということも日常茶飯事。
二律だけならまだましな方で、5個も10個も選択肢があってどれも正しく見えることなんてザラでしょう。
とても簡単な例で言えば、スーパーに夕飯の買い物に行こうと思ったら、膨大な数の選択肢があります。
料理のバリエーションは日に日に増えていきますし、クックパッドに投稿されているレシピ数が世界で500万品を超えたというのがニュースにもなっていました。
そのうち、日本だけでも300万品を超えているので、何を作るかという選択肢には一生困らないのかもしれません。
それでも多くの人はスーパーに行って夕飯の選択をするわけですけれども、人によって傾向が異なるのは予想がつくと思います。
ある人は冷蔵庫の中身を考慮して、効率よく消費期限内に在庫を消費するようにしたくなるかも。
ある人は今の気分を大事にして、この瞬間に食べたいものをあれこれ想像してかっちゃうかも。
ある人は作るのは面倒だと感じると、お惣菜コーナーに向かってウロウロと物色するかも。
はたまたスーパーには行かずに外食するかもしれませんし、そもそも家も出たくないのでUberEatsの画面を開くかもしれません。
使ったお金や時間は違えど、美味しい夕食を食べることには変わらないので、この行為自体にはどれがダメとか正しいはないと思っています。
正しいかどうかを判断しているのは、法律と個人の主観ですよね。
法律は明確ですが、わたしの主観は当てにならないのがわかってきたので、もう穏やかなものです。
あ、人によっては社会的に正しいかどうかで見るかもしれません。
常識的に考えて、という枕詞がつく場合ですね。
頼もしい常識という盾を振りかざしたとしても、常識≠真理なのが今の世の中。
何が正しいかはわからない時代なので、大勢に影響のないことは正しい寄りで見てあげるのもいいのではないでしょうか。